社交篇
第六の魔法

思草(しぐさ)

ここ数年、江戸しぐさが注目を集めています。東京の地下鉄の各駅にポスターが貼りめぐらされ、小中学校の道徳教育にも取り入れられているそうです。ついには、東京ディズニーリゾートのサービス・マニュアルにまで採用されました。いまやホスピタリティにおけるグローバルスタンダードといえるかもしれません。

江戸しぐさとは、いったい何か。それは、江戸の商人を中心とした町人たちの間で花開いた「思いやり」の形です。出会う人すべてを「仏の化身」と考えていた江戸の人々は、失礼のないしぐさを身につけていました。譲り合いの心を大切にし、自分は一歩引いて相手を立てる。威張りもしなければ、こびることもしない。あくまでも対等な人間同士として、ごく自然に実践していたものが江戸しぐさなのです。

しぐさとは、ふつうは「仕草」と書きますが、江戸しぐさの場合は「思草」と書きます。「思」は、思いやり。「草」は草花ではなく、行為、行動を意味します。つまり、その人の思いやりがそのまま行ないになったものなのです。

わたしは、以前から江戸しぐさに注目していました。そのため、この道の第一人者である越川禮子先生を会社にお招きして、教えていただいたこともあります。もともとは小笠原流を会社ぐるみで学んでいました。小笠原流は武家の礼法ですが、江戸しぐさは商家の作法。武士と商人の違いはありますが、ともに「思いやりのかたち」としては同じです。

さて、具体的な江戸しぐさには、どんなものがあるでしょうか。いくつか紹介しましょう。まずは、江戸しぐさの代名詞ともなっている「往来しぐさ」の中から。江戸は人口100万人の大都市であり、みんなが譲り合って仲良く暮らすことを心がけていました。その中で生まれたのが道を歩くときや渡し舟に乗るときなどの礼儀である往来しぐさでした。

たとえば、「肩引き」。路地が多かった江戸では、狭い道で他人とすれ違うときには、互いに右に肩を引き合いました。互いの胸と胸が向き合い、体を斜めにすることで、ぶつからずに通り過ぎることができたわけです。

「傘かしげ」も有名な往来しぐさです。これは、雨や雪の日に道ですれ違うとき、お互いに傘を外に向けること。雫(しずく)がかからないようにとの配慮です。

「こぶし腰浮かせ」も有名です。乗合舟で後から乗ってきた客のために、先客たちが、こぶし分、腰を浮かせて詰め合せました。後の客は、そうした配慮に対して「かたじけない」とか「有り難うございます」と礼を述べてから座った。現代では、電車などの公共交通機関で求められるマナーです。若い者がシルバーシートに座って、お年寄りが乗ってくると寝たふりをするようでは、世も末ですね。

また、「うかつあやまり」というのもあります。たとえばJR車内で、若者が中年の男性の足を踏んだとします。中年が「こら、痛いだろうが!」と怒鳴れば、若者も「電車が揺れたんだから、仕方ないじゃないか!」とやり返す。これでは必ず喧嘩になってしまいますね。

では、足を踏まれたとき、どうするか。踏んだ方があやまるのは当然ですが、踏まれた方も「私も、うかつでした」と謝るのが江戸しぐさです。こうすれば、絶対に角が立たず、トラブルになりようがありません。

そして、わたしが一番好きなのが「いなかっぺい」という言葉です。これは地方出身者という意味ではなく、相手の肩書きや貧富を聞いて急に態度を変える俗物的な人間をさします。井の中の蛙(井中っぺい)とされて、もっとも軽蔑されました。江戸の町人たちは差別を嫌った。もともと士農工商で社会の最下層に位置された商人たちは、せめて自分たちの世界の中では差別を生みたくないと考えたのかもしれません。

さて、越川先生によれば、「江戸しぐさとは、マナーではない」そうです。そして、「江戸しぐさは、江戸っ子のよい癖です」とおっしゃっています。癖というのは、いちいち考えなくても体が先に動いてしまうということで、陽明学の「知行合一(ちこうごういつ)」にも通じる世界だと思います。

そんな江戸しぐさの根底には互助共生の精神があると、越川先生はいいます。人にして気持ちいい、してもらって気持ちいい、はたの目に気持ちいいもの、それが江戸しぐさなのです。

そして、忘れてはならないのが「講」の存在です。江戸町方では一種の相互扶助会の「講」というものができあがっていました。これが江戸しぐさを実際に機能させていく土台となってきたのです。

江戸の講は原則として、月に2回開かれました。「講」とは「世間」という意味ですが、そこでは、江戸を良い都にするためのさまざまな重要な問題が話合われました。そのメンバーは「講中」と呼ばれ、リーダー的存在は「講師」と呼ばれました。その他にも、「講座」「講義」「講堂」「講習会」など、すべてこの講から生まれた言葉です。

さらに江戸しぐさでは、「人間」と書いて「じんかん」と読みました。「人間関係」そのものの意味が込められていたのです。

さて、高齢化社会になって、老後をどのように過ごすかが大きな問題になっています。わたしは「人は老いるほど豊かになる」と考えており、そのテーマで新聞や雑誌にエッセイを書いたり、老人会などに呼ばれて講演を行なうこともしばしばです。『老福論~人は老いるほど豊かになる』(成甲書房)という著書もあります。

しかし、その考え方はすでに江戸に存在したのです。儒学の精神を寺子屋で学んだ江戸の町衆には、志学(15歳)、弱冠(20歳)、而立(30歳)、不惑(40歳)、知命(50歳)、耳順(60歳)のしぐさがそれぞれありました。

彼らは、年相応のしぐさを互いに見取り合って、文化的、人道的に暮らしていました。たとえば歩き方にしても、志学の年代は駆けるようにす早く歩き、弱冠の年代は早足、而立の年代は左右を見ながら注意深く歩いたそうです

18歳くらいの志学の若い者がぐずぐず歩いていると、20代の弱冠の年代の者がたしなめ、不惑の年代の者が若いつもりで駆けたりすると、腰を痛めるとされました。

耳順、つまり60歳の還暦の年代の「江戸しぐさ」は、「畳の上で死にたいと思ってはならぬ」「おのれは気息奄々(きそくえんえん)、息絶え絶えのありさまでも、他人を勇気づけよ」「若衆を笑わせるように心がけよ」でした。

60歳を越えたら、他人のためにはつらつと生き、慈(いつく)しみとユーモアの精神を忘れないよう心がけたそうです。これを「耳順しぐさ」といいますが、その心得は、何よりも若者を立てることでした。

そして、そのぶん若者たちは隠居をはじめとした年長者たちを日頃から尊敬し、大いなる江戸の「敬老文化」が築かれていきました。

こうした「年代しぐさ」のバックボーンには、越川先生のいわれるように「共生」の土壌がありました。若者には、自分より体力的にハンディキャップのある年長者をつねに思いやる「くせ」が身についていたのです。

お互いに相手を思いやり、江戸では年長者も若者もみんな元気に楽しく暮らしていました。わたしたちも、ぜひ、江戸しぐさに学びたいものです。

みんなが江戸しぐさを身につければ、どれだけ人間関係が良くなり、社会が明るくなることか計り知れませんね。