社交篇
第七の魔法

会話

人間関係の問題とは、つまるところコミュニケーションの問題です。そして、人間同士の最も大切なコミュニケーション手段とは会話ではないでしょうか。会話のないところに良い人間関係などありえません。

また、会話の話題によって、人間関係は良くも悪くもなります。たとえば、政治や宗教などに関する話題は、人間関係を悪化させる危険性があるのでタブーとされています。

会話ときの態度も重要です。絶対にしてはならないのが、腕組みと足組みです。江戸しぐさでは、衰運の思草として非常に嫌われました。

人と会話しているときは、相手とコミュニケーションを行なう姿勢をとるのが礼儀です。腕組みは相手との間に柵を設けることであり、自由なコミュニケーションを拒否するという心理的圧力を与える結果になります。そのうえに足まで組んでいれば、さらに相手を遠ざけようとすることになります。

満員電車の中で足を組むのは、自分の前に障害物をつくって、それ以上人が近づいてこないようにするということです。人が攻めてきても、すぐに蹴ることができる態勢をとっているわけであり、失礼千万です。わたしは人と接するとき、腕組み、足組みだけは絶対しないように心がけています。

逆に、3つのことをするように心がけています。まず、必ず相手の目をやさしく見つめながら話を聞くこと。

次に、相手の話には必ず、あいづちを打つこと。相手をほめる言葉を混ぜると、さらに相手は饒舌になります。

そして3つ目は、自分が話すときには意見ではなく、質問のスタイルをとることです。

さらに詳しく3つの心がけについて見ていきます。まず1つ目ですが、相手の目をやさしく見つめながら、できれば表情に微笑があるとよいでしょう。もちろん、相手をバカにしたようなヘラヘラした表情ではなく、おだやかな微笑です。

2つ目の心がけですが、あいづちの力はきわめて大きいです。あいづちは、次のようなさまざまな力を持っています。すなわち、話し手に聞いていることを知らせる。話し手を集中させ、乗せる。話をリズミカルにする。聞き手の関心や興味がどこにあるか、話し手にそれを確認させながら話させることができるなどです。

また、あいづちはワンパターンではいけません。あいづちの名人は、「はい」や「ええ」だけでなく、「うん」「うん、うん」「そう」「そうなの?」「そうなんだ!」「へえ」「ほんと?」「ほんとうに!」「それで」「ねえ、それで、それで」「すごいねえ」「すごーい!」「信じられない」などなど、多くのバージョンを使い分けています。

会話上手とは聞き上手です。そして聞き上手になるための基本とは、受容、傾聴、共感、感情の反射の4つです。それらはすべて、あいづちバージョンの中に込められていることにお気づきでしょうか。

カウンセリング業界では常識になっているそうですが、誰でも聞き上手になれる魔法のフレーズが3つあるといいます。いかなる問題であろうと、この言葉のいずれかを会話にはさめば、相手は自分が理解されていると感じ、あなたに好意を抱いて、どんどん本心を語るとか。

その魔法のフレーズとは、次の3つです。

機会があったら、ぜひ、家族や友人に試してみてください。

そのように、相手にじゅうぶん話をさせておいて、心が開いた状態になったら、「では、わたしの話も少し聞いてくれますか」というふうに流れをもっていく、これが人間関係を良くする会話のコツです。

相手ばかり話していても会話は成立しません。自分も話すことが必要です。ここで3つ目の心がけですが、何か意見をいうときは、「わたしは、こう思う」と断言するのではなく、「わたしは、こう思うのですが、いかがですかね?」といったように相手に質問し、相手から「いや、あなたのご意見は正しいですよ」とか、「わたしも同意見ですよ」とかいわせると、何をいっても角が立たず、人間関係を損なうこともありません。

いくら質問の形をとるとしても、自慢話だけは絶対にしないように心がけましょう。「わたしって、世間的には成功者の部類に入るんですかね?」といった質問は最悪です。人間にとって、一番聞きたくないものは他人の自慢話なのですから。

それから、自分が話す場合は、「世辞」や「愛語」を努めて口にするようにしたいものです。

まずは、世辞から説明します。江戸しぐさには、「繁盛しぐさ」の別名もありました。当然ながら挨拶を重視しました。特に、「今日は御機嫌いかが」の省略語としての「こんにちは」を江戸の商人たちは愛用しました。そして、「こんにちは」の後に挨拶言葉がいえるかどうかが、人づきあいを大切にする商人たちにとっては非常に大事なことでした。子どもたちは寺子屋で世辞(せじ)の心得を学んで、身につけたといいます。

世辞とは、「へつらい」や「おべんちゃら」をいうことではありません。人間関係を円滑にする社交辞令の第一歩であり、いわば大人の言葉のことです。「こんにちは」の後に、「今日はいいお天気ですね」と続け、「その後、お母上のお体の具合はいかがですか」などと、相手を思いやる言葉をかけるのです。

このような思いやりある世辞は「愛語」という言葉にも通じます。愛語は、日本の仏教が生んだ言葉です。曹洞宗の開祖である道元の著書『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』の中に『愛語』は登場します。

愛語とは、他人に対してまず慈愛の心を起こし、愛のある言葉を施すことです。たとえば、新聞配達や宅配便の人に「暑いところを、ご苦労さま」とか、外食した際には「ごちそうさま。おいしかったです」と、感謝の言葉をかける。挨拶するときの「お元気ですか」とか「お大事に」なども愛語です。

道元によれば、愛語を使うことは愛情の訓練につながるそうです。そして、「愛語よく廻天(かいてん)す」と述べています。言葉ひとつで相手に元気になる力を与えているのだというのです。言葉づかいそのものにも、その人間の徳が表れるのです。

道元が愛語の重要性を説いてから500年後、若き日の良寛が『正法眼蔵』を読んで感動しました。そして、自らも愛語を心がける人生を送ります。最晩年に、ふと筆を取った良寛は『愛語』の全文を書き写し、沙門良寛謹書と署名しました。この書を現代に甦らせたのが、作家の新井満氏の自由訳『良寛さんの愛語』(考古堂)です。

良寛は、さまざまな愛語を大切にしました。

たとえば、「お変わりございませんか」。

身体の具合はどうなのか、何か困っていることはないか、

何か悩んでいることはないか、

などなど、相手のことを気づかっているのです。

別れ際には、「ごきげんよう」とか「どうかお大事に」、または、「お気をつけて」とか「どうかお達者で」という愛語をかけます。

また、よいことをした人がいたら、「よくやったねえ!」「すばらしいねえ!」という愛語で誉めてあげます。

よいことに恵まれた人がいたら、「おめでとう!」「よかったねえ!」という愛語で祝福してあげます。

一方、世の中には不運な人もいます。努力したのに報われなかったり、ひどい災難に遭ってしまったりした人がいたら、なぐさめてあげます。手を取り合い、ともに涙を流しながら「たいへんでしたね」「つらいことでしたね」という愛語でいたわってあげます。

世辞にしろ愛語にしろ、わたしたちは言葉の持つ偉大な力を知らなければなりません。そして、

を会話において大いに使っていきましょう。

これらの言葉は、あらゆる人々にとって、人間関係を良くする魔法の言葉であることはいうまでもありません。日常の会話の中で、大いにお使い下さい。