社交篇
第九の魔法

掃除

最近は掃除というものが見直されてきていますが、掃除も人間関係を良くする魔法の1つです。

昔から掃除は、地域の人間関係を良くする上で重要な役割を果たしてきました。自宅の前をほうきで掃(は)くとき、隣家の前も掃く。お隣さんもまた隣家の前を掃く。そうすると、自分の家の前は自分とお隣さんによって、二度あるいは三度掃かれるわけですから、非常にきれいになる。このように、日本人は掃除によって隣家との心の交流を行なってきたのです。

ロータリークラブやライオンズクラブなどの奉仕団体では、早朝に駅前清掃などの行事がよく行なわれます。わたしはロータリークラブの会員ですので参加することがありますが、会社の社長さんやお医者さん、弁護士や公認会計士の先生などもいそいそと清掃活動に励んでいます。ともに掃除をすることは、ゴルフや飲み会とはまた違った連帯感を生み出すようです。それは、掃除を共同作業で行なうということが大きいといえます。共同作業によって、心が揃うわけです。

掃除は何よりも共同作業の代表格です。世界的な映画監督として知られた黒沢明は、セット撮影に入る前に、スタッフや出演者全員に必ず、濡れていない雑巾を持たせて、城の一部などの大道具をカラ拭きさせたそうです。

もちろん、黒沢監督が先頭に立ち、主演のスターも、大部屋の役者も、大道具、小道具、録音、証明、カメラ、音楽など、とにかく映画製作に関わる人はすべてカラ拭きに動員されました。カラ拭きという共同作業によって、全員の気を揃え、名画を作るという共通の目標に全員を向かわせたのです。

1人で行なう掃除も人間関係を良くします。会社に早朝出勤して自分の机だけでなく、その周辺の掃除までしている人などがいますが、必ずといっていいほど人間関係に恵まれています。掃除によって他の人たちから感謝されているわけですから、当然でしょう。

日本電産社長の永守重信氏という人がいます。会社再建の名人として有名な人ですが、

「倒産する会社の共通点」の1つとして、工場の清掃が行き届いていないことを挙げています。永守氏は清掃というものに注目し、1975年ごろから日本電産の新入社員は1年間トイレ掃除をするという習慣ができあがったそうです。

しかも、ブラシやモップなどの用具は一切使わず、すべてを素手でやることになっているといいます。便器についた汚れを素手で洗い落とし、ピカピカに磨き上げる作業を1年間続けると、トイレを汚す者はいなくなる。

これが身につくと、放っておいても工場や事務所の整理整頓が行き届くようになってくる。これが「品質管理の基本」であり、徐々に見えるところだけでなく見えないところにも心配りができるようになれば本物だというのです。工場のみならず、サービス業の施設においても、まったく同じことが言えますね。

掃除について、江戸時代の狂歌師である大田蜀山人が「雑巾を 当て字で書けば 蔵と金 あちら福々 こちら福々」という歌を詠んでいます。福々は「拭く拭く」です。

この精神を哲学にまで高め、「掃除福々」を唱えている人物が、イエローハットの創業者である鍵山秀三郎氏です。鍵山氏は「人の心の荒み」を減らしたいという願いから事業を興しましたが、掃除に関する第一人者としてよく知られています。

著書も多く、わたしはそのすべてを読みました。鍵山氏は、雑巾がけ1つにしても、力を込めて少しでもきれいにしようという気持ちが必要であり、できれば「あちら福々 こちら福々」となるような拭き方がよろしいと述べています。

今や、「掃除の神様」として全国にその名を知られる鍵山氏は、毎日、ほうき1本、ちりとり1つで会社の付近を掃き続け、温泉旅館に行けば、他人の洗い桶やスリッパまで揃えるそうです。イエローハットでは掃除はもちろん、出前の器も必ず洗って返し、車もすべて社員が洗うので、ガソリンスタンドで洗車してもらったことがないといいます

そのやり方を合理的でない、生産性がないと考える人は多いでしょう。しかし鍵山氏は、「自社にとって不都合なことを他者に転嫁しているとどうなるかというと、社員は間違いなくすさんでいきます。思いやりのない集団になって、だんだん心がすさんでいきます」と言います。すさんだ心の集団、会社ほど悲惨なものはなく、いくら経常利益を上げて新聞紙上でどれだけ持てはやされても、そんな会社はいい会社ではないというのです。

「それよりも、郵便を届けてくださる方、出前を持ってくる人、商品を届けに来る人、運送会社の運転手さんといった人に思いやりが持てるような会社でありたいと思います」

そう述べる鍵山氏が郷里から初めて東京に出てきたとき、お金もないし、何もない。何ができるかと考えた末、雑巾とほうきとちりとりなら、いくら貧しくても用意できることに気づきました。以来、ものごとをきれいにすることを徹底してきました。

天下に名をなす人物は、みな凡から出て、凡に徹しきっています。鍵山氏が座右の銘にしているという「凡事徹底」の四文字こそ商人道の根幹であり、運をつかむこつなのです。

「10年偉大なり。20年畏るべし。30年にして歴史なる。」という古人の言葉があります。どんな些細な小さなことでも10年も心を込めて続けるということは「偉大」なこと。それにもう10年加えて20年それを続けたとしたら、それは「おそるべき力」になる。そして、さらにもう10年続けて30年に至れば「歴史ともいえる力」になるのです。

鍵山氏の掃除人生は、まさにこの言葉通りのものでした。些細なこと、何の見返りも求めずにやり続けることは、確かに至難なことです。しかし、その至難なことをやり遂げたとき、初めて「歴史となる」のです。ましてや、鍵山氏はそれからさらに10年を重ね、実に40年以上もそれを続けているのです。

掃除の思想といえば、「祈りの経営」で知られるダスキン創業者の鈴木清一が思い浮かびます。彼は、およそ掃除ほど尊い仕事は他にないと断言しました。なぜなら掃除をして、美しくして、他人を「いい気持ちだ」と喜ばせることのできる仕事は、昔から金儲けとしてではなく、修業として実践されてきたぐらいだからです。

掃除は美しくする仕事であるが、そのなかでも一番大事なことは「心を美しくする」ことである。美しい心とは人間を幸福にする「心の豊かさ」を指す。鈴木清一は、その生涯を通じて、「私たちは幸せだ。なぜならまず働けるという健康に恵まれている。しかも私たちがお掃除をすることによって、じぶんでもすぐその効果がはっきりわかる(汚れていたところが、ぐんぐんきれいになる)。こんなあざやかな働き甲斐のある仕事が他にあるだろうか」と、清掃の思想を広めました。

昔から寺や武道の道場で雑巾がけが修業の始まりとされたのも、掃除が「心を美しくする」行ないだったからです。

掃除ほど自分の心を美しく豊かにして、さらには人間関係を良くするものはなかなかありません。ぜひ、家庭で、職場で、地域で、大いに掃除に励もうではありませんか。