社交篇
第十一の魔法

旅行

日常暮らしている土地を離れ、異なる土地におもむき、非日常の体験を味わう。旅行は本当に楽しいものです。

旅行会社のツアーに参加したり、家族や気の合う友人と楽しみながらプランを立てたり、あるいは近場への温泉旅行だったりと、そのスタイルはさまざまでしょう。

しかし、異なる土地の人々とのふれあい、文化や慣習などを学ぶことで、感性を磨き、心を洗濯し、成長できるという点では共通しています。

人間関係を良くするためにも、旅行というイベントが非常に大切です。たとえば、学生時代の卒業旅行、恋人とのランデブー、ハネムーンに家族旅行などなど。旅行によって非日常の時間をつくりだすことで、人の心の結びつきはさらに強固になります。

それは、会社で働く仲間の場合でもまったく同じです。昨年は、わが社の創業40周年を記念して、全国のグループ社員を3班に分けて上海に行ってきました。さまざまな家庭の事情がある社員もいて、当然ながら全員が旅行に参加するわけにはいきませんでした。それでも、600名くらいにはなりました。

今どき、こんな大人数で社員旅行をする会社は全国どこにもないようで、旅行会社の人も「まず、聞いたことがありません」と驚きながら話していました。どんな大企業の場合でも聞かないそうです。

いや、大企業ほど、こういった社員旅行はなくなる一方とか。セクハラをはじめとした人間関係のわずらわしさから、旅行はもちろん忘年会などもどんどん縮小傾向にあるようです。どうも、日本中の会社が「人間嫌い」の方向に向かっているような気がします。

それには、加速化する一方のIT化の影響も大きいでしょう。みんな1日中、机の上のパソコンにばかり向き合って、人間と向き合わない、そんな会社ばかりになりました。

いや、会社というより、社会そのものがそうです。例の個人情報保護法の関係で同窓会や町内会の運営も難しくなっています。ますます人と人が接触する機会が失われてしまう。社会全体が「人間嫌い」になっているのです。

しかし、当然ながら「人間嫌い」になっていては良い人間関係づくりなど望みようもありませんし、また、そのお手伝いもできません。すなわち、「人間好き」にならなければいけません。

人間を好きになることは、会社の場合なら、一緒に働く職場の仲間を好きになることから始まります。学校の場合なら、一緒に学ぶクラスメートを好きになることから始まります。

その人を好きになるには、その人と話し、その人を知ることが重要です。そして、それには旅行という非日常のシチュエーションで「思い出」を共有することが一番効果的ではないでしょうか。

考えてみれば、新婚夫婦だってお互いをよく知り、お互いをさらに好きになるためにハネムーンに行くではありませんか。だから、わが社は「人間嫌い」化という世の流れに逆らって、あえて総勢600名の海外旅行を企画し、実行したのです。

昨年は創立40周年という節目であったため海外に行きましたが、普段の社員旅行は国内にバス旅行をすることがほとんどです。たいていは温泉地に行きます。いろんな名所旧跡を見学したあと、旅館に着いて、温泉につかる。それから、お待ちかねの宴会です。

きわめてアナログな日本独特の風習ですが、まだまだ人間関係を良くする魔法としての力は失っていないと確信しています。そして、その秘密はどうも、社長から新入社員まで全員が同じ行動を取ることにあるような気がします。朝のラジオ体操などにもいえることですが、同じ行動を取っているうちに、心が1つにまとまっていくのではないでしょうか。

社員旅行でなくとも、各旅行会社はバス・ツアーなどを行なっていますし、わが社が全面的に応援しているNPO法人でも定期的に高齢者を対象としたバス旅行を企画しています。多くの方々が楽しみにしていただいているようで、毎回、すぐ定員がいっぱいになります。

このバス旅行で知り合いになり、その後も友情を育てていかれた方々も多くいらっしゃいます。社員旅行や修学旅行に代表されるように仲間の人間関係を良くするだけでなく、旅は新たな人間関係をも作ることができるのです。

わたし個人の場合を考えても、ずいぶんと旅行で築いた人間関係が多いように思います。ときどき各種の経済団体が主催する海外視察に参加するのですが、そこで知り合った社長さんや大企業の幹部の方々との御縁を深めてきました。

講演の講師として招いていただいたり、具体的なビジネスにまで発展したこともあります。帰国後も毎年1回は交流会が開かれ、会食しながら旅の思い出を語り合い、近況報告をしたりします。

人間関係を良くするには、一緒にお茶を何十回飲むよりも1回酒を飲むほうがよいとか、ゴルフに勝るコミュニケーションはないなどといわれますが、とても旅行にはかないません。というより、旅行の中に飲酒やゴルフが組み入れられることもしばしばです。旅の道連れになることほど、短い時間で濃密な人間関係がつくられることはありません。

さらに旅行は、旅に同行しなかった人との人間関係も良くする力を持っています。すなわち、おみやげのことです。旅先で見つけた珍しいもの、おいしいもの、おみやげは旅行者からの「旅のおすそわけ」です。

おみやげを貰った人は自分も一緒に旅をしたような気分になり、まだ見ぬ土地に想像をめぐらせ、おみやげをわざわざ買って、持って帰ってきてくれた人の心を嬉しく感じることでしょう。

モノだけではありません。みやげ話というものも大事で、人間関係を良くする力を持っています。珍しい土地に行った人のみやげ話ほど、心がワクワクするものはありません。

最近、吉田松陰についての本を読んでいて、松陰があれほど多くの塾生を集め、かつ彼らに影響を与えることができたのかを考えたとき、「驚き」というのが1つのキーワードではないかと思いつきました。そして、松下村塾の濃密な人間関係の背景には、松陰の旅のみやげ話があるような気がしてきました。

松陰は学問の心得として、「学者になってはならぬ、人は実行が第一である」と常に塾生に説いていました。そして自身も、この教訓を実践してきました。ゆえに大いに旅をしました。その体験談を塾生たちに語りました。

脱藩して東北を遊歴したり、アメリカ密航を企てたりといった一見、血気にはやったような危険な行動も、若い塾生たちにとっては血湧き肉踊る武勇伝であり、冒険談でした。それは講談や紙芝居もかなわないエンターテインメントでさえありました。萩以外の世界を知らない塾生たちの多くは、松陰の話に大いに驚き、その旅のみやげ話を窓として、そこから広大な世界を見ようとしたのです。

現代で言うなら、パスポートを持たずに世界中を飛び回ったとか、宇宙からやってきたUFOに乗ろうとしたという話に匹敵します。そんな物凄い旅の体験を重ねている本物の英雄が松陰であり、少年たちは心から憧れ、深く尊敬の念を抱いたのでしょう。

わたしは、人間の心は「驚き」を必要としていると思います。人はときどき衝撃を受けて、特に自己に衝撃を受けて驚き、目が覚める、目を覚ますということが大切だと思います。退屈とは、案外いけないことなのです。

人間の生命というものは、慢性的、慣習的、因襲的になると、たちまちだれてしまいます。これにショック療法として、ときどき衝撃を与えないと生命は躍動しないのです。

哲学者のプラトンは、「哲学は驚きにはじまる」と述べました。よく驚くということこそ、人間の本質的な要求なのです。安岡正篤は、この驚くという人間の一番尊い要求が、次第に信仰や学問、芸術などの尊い文化を生んだのであると述べています。

そして、わたしたちに最も「驚き」を与えてくれるものこそ旅です。旅によって、ともに「驚き」、「思い出」を共有する人間同士の心は結ばれます。

人生はしばしば旅にたとえられます。人生も旅も、ともに良き道連れに恵まれることが何よりも大切です。そして、旅の良き道連れがそのまま人生の良き道連れとなることは珍しくありません。

さあ、大いに旅をして、良い人間関係をつくろうではありませんか!