社交篇
第十六の魔法

感謝

「感謝」という魔法についてお話したいと思います。

異色の哲学者として多くの指導者を教えた中村天風は、「ありがとう」という気持ちを持ち続けていれば、不平、不満、怒り、怖れ、悲しみは自然に消えてなくなると述べました。

そして、「とにかく、まずはじめに感謝してしまえ」とも教えました。

わたしたちは、感謝すべき出来事があって、その後に感謝するのが普通です。「感謝を先にしろ」といわれても、なかなかできるものではありません。でも、天風によれば、いま、ここに「生きている」というだけでも、大きな感謝の対象になるというのです。

ここで天風の教えは非常に実践的です。感謝本位の生活を送るために、「三行」というものを提唱しています。すなわち、「正直」「親切」「愉快」に日々過ごしていくことです。この3つの行ないを実践することによって、感謝することが容易にできるようになっていくというのです。

心学研究家の小林正観氏は、著書『釈迦の教えは「感謝」だった』(風雲舎)でいいます。思いが強ければ強いほど、つまり「これをどうしても実現したい」「これをどうしても手に入れたい」「どうしても思いどおりにしたい」と思う心が強ければ強いほど、実は「いま自分が置かれている状況が気に入らない」ということである。ということは、その状況を用意している宇宙や神に対して「あんた方のやっていることが気に入らないんだ」と宣戦布告しているようなものなのです。

ラテン語で、「現在」のことを「プレゼント」といいます。今あるものは全部が神のプレゼントなのです。そのプレゼントに満足せず、要求をぶつけて、「何か欲しい」「早く寄こせ」という人がいれば、それは神に文句をつけていることに他なりません。神はそういう人間にさらなるプレゼントはしません。

小林氏の本を読んで、わたしは水の入ったコップを連想しました。コップに半分残った水。まあ、水ではなく、わたしの好きなシャンパンでもチューハイでも何でもいいのですが、それを見て、どう思うか。ずばり、「もう半分しかない」と思うか、「まだ半分ある」と思うか。前者はその後に「困った」という言葉が、後者は「良かった」という言葉が続くでしょう。どちらが幸福感を得られやすいかはいうまでもありません。

大切なことは、「まだ半分ある」の向こうには、そもそも最初に水が与えられたこと自体に対して「ありがたい」と感謝する心があることです。やはり、「感謝」は幸福になるための入口であるようです。

実際、多くの人々が「感謝」の心こそ、「幸福」への道だといっています。その通りです。そして「大自然に感謝すべし」とか、「宇宙に感謝すべし」という宗教家のメッセージもよく目や耳にします。まったくその通りだと思います。でも、なかなか普通の人間がそこまでの達観することも難しいでしょう。しかし、どこかで感謝のスイッチを入れて、心を「感謝モード」にすることが大切なのも事実。ならば、どうするか。

わたしは、こう考えます。わたしたちの会社で全社員の誕生日を祝っていることは、すでにお話しました。 社長であるわたしは、全社員に自らバースデーカードを書き、プレゼントをつけて贈っています。また、職場のみんなで「おめでとう」の声をかけます。

社員のみなさんも、とても喜んでくれているようです。そのかわりに、わたしは社員に対して、1つのお願いをしました。それは、「誕生日には、ぜひ自分の親に感謝していただきたい」というお願いです。

ヒトの赤ちゃんというのは自然界で最も弱い存在です。人間の子どもは自分では何もできない、きわめて無力な弱々しい生きものです。すべてを母親がケアしてあげなければ死んでしまう。じつに2年間もの細心の注意が必要で、こんなに生命力の弱い生き物は他に見当たりません。

わたしは、ずっと不思議に思っていました。「なぜ、こんな弱い生命種が滅亡せずに、現在まで残ってきたのだろうか?」と。そして、あるとき突如として、その謎が解明しました。

それは、ヒトの母親が子どもを死なせないように必死になって育ててきたからです。そもそも、出産のとき、ほとんどの母親は「自分の命と引きかえにしてでも、この子を無事に産んでやりたい」と思うもの。実際、母親の命と引きかえに生まれた新しい命も珍しくありません。また、無事に出産したとしても、産後の肥立ちが悪くて命を落とした母親も数えきれません。まさに、母親とは命をかけて自分を産んでくれて、育ててくれた存在です。

ある意味で、自然界においてヒトの子が最弱なら、ヒトの母は最強と言えるかもしれません。そして、その母子を大きく包んで、しっかりと守ってやるのが父親の役割です。誕生日とは、何よりも、命がけで自分を産んでくれたお母さん、そして自分を守ってくれたお父さんに対して感謝する日だと思います。

わたしは、自分の誕生日に両親に対して心からの感謝をすることこそ、感謝のサイクルに突入して、心を感謝モードにする第一スイッチであると思います。そして、両親への感謝から宇宙や自然や神仏への感謝につながってゆくのではないでしょうか。

ある意味で人間関係を良くする思想の体系であった儒教においては、親の葬礼を「人の道」の第一義としました。親が亡くなったら、必ず葬式をあげて弔うことを何よりも重んじたというのも、結局は「親を大切にせよ」ということでしょう。

そして、親を大切にするということは、すべとの幸福のサイクルを作動させる初動動作なのだということを孔子や孟子は知っていたように、わたしは思います。

感謝の念は「ありがとう」という一語に集約されますが、この言葉はどこの国にもあります。それは、「ありがとう」が人間にとって非常に大切なものだからです。「お金」はなくても何とかなるが、これがなくては生きていけないというぐらい大切なものなのです。

「ありがとう」と言われた人は気分がいいし、「ありがとう」と言った人も気分がいい。こんなにお互いに「いい気分」になるのであれば、もっともっと「ありがとう」という言葉を使うべきでしょう。金もかからず手間もいらず、こんなに便利なものはありません。それで、みんなが元気になれれば、こんなに幸せなこともありません。

さらに、「ありがとう」は人間関係を良くする魔法の中でも、とっておきの必殺技のようなものだと思います。特に、自分に敵意を抱いている人などに、面と向かって「いつも、ありがとうございます」などと感謝することをおすすめします。相手も最初は面くらい、怪訝に思って、あなたの真意をさぐるかもしれません。

でも、会うたびに「ありがとうございます」と感謝していれば、必ず相手の心はうちとけてゆきます。そして、いつしか、あなたに好意を抱くようになるでしょう。誰も自分に対して感謝している人間を攻撃しようとは思いません。わたしは、これまでの人生において、何度もこの必殺技を使ってきました。もちろん、効果てきめんでした。

みなさんも、ちょっと苦手な人がいたら、ぜひ「ありがとうございます」と声をかけてみて下さい。おそらく、その効果に驚かれることと思います。

人間関係という、ちょっと難易度の高いゲームにおける必殺技こそ、「ありがとう」という魔法の言葉なのです。「ありがとう」の一言が、人間関係を劇的に良くするのです。