社交篇
閉講にあたって

ゆたかな人間関係が最高の贅沢である

日本人の自殺率上昇が問題になっています。その最大の原因も人間関係にありそうです。サラリーマンが会社を辞める理由としては、給料の安さ、休みの少なさ、労働時間の長さ、職種への不満などがありますが、そのトップは圧倒的に人間関係の悩みだそうです。

しかし、本講を最後まで読まれたあなたは、人間関係を良くする魔法について精通されたことと思います。あなたは、人生で最高の「ゆたかさ」を手にされたといっても過言ではありません。

サン=テグジュペリは、名著『人間の土地』に、「真の贅沢というものは、ただ一つしかない、それは人間関係の贅沢だ」と書いています。

飛行機の操縦士だった彼は、サハラ砂漠に墜落し、水もない状態で何日も砂漠をさまようという極限状態を経験しています。そこから、水が生命の源であることを悟り、『星の王子さま』に「水は心にもよい」という有名な言葉を登場させたのです。

わたしは、『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)という本を書きましたが、

その中で、ブッダ、孔子、老子、ソクラテス、モーセ、イエス、ムハンマド、聖徳太子といった偉大な聖人たちを「人類の教師たち」と名づけました。

彼らの生涯や教えを紹介するとともに、8人の共通思想のようなものを示しました。その最大のものは「水を大切にすること」、次が「思いやりを大切にすること」でした。「思いやり」というのは、他者に心をかけること、つまり、キリスト教の「愛」であり、仏教の「慈悲」であり、儒教の「仁」です。そして、「花には水を、妻には愛を」というコピーがありましたが、水と愛の本質は同じではないかと、わたしは書きました。

興味深いことに、思いやりの心とは、実際に水と関係が深いのです。『大漢和辞典』で有名な漢学者の諸橋徹次は、かつて『孔子・老子・釈迦三聖会談』(講談社学術文庫)という著書で、孔子、老子、ブッダの思想を比較したことがあります。

そこで、孔子の「仁」、老子の「慈」、そしてブッダの「慈悲」という3人の最主要道徳は、いずれも草木に関する文字であるという興味深い指摘がなされています。すなわち、ブッダと老子の「慈」とは「玆の心」であり、「玆」は草木の滋(し)げることだし、一方、孔子の「仁」には草木の種子の意味があるというのです。そして、3人の着目した根源がいずれも草木を通じて天地化育(てんちかいく)の姿にあったのではないかというのです。

儒教の書でありながら道教の香りもする『易経』には、「天地の大徳を生と謂う」の一句があります。物を育む、それが天地の心だというのです。考えてみると、日本語には、やたらと「め」と発音する言葉が多いことに気づきます。愛することを「めずる」といい、物をほどこして人を喜ばせることを「めぐむ」といい、そうして、そういうことがうまくいったときは「めでたい」といい、そのようなことが生じるたびに「めずらしい」と言って喜ぶ。これらはすべて、芽を育てる、育てるようにすることからの言葉ではないかと諸橋徹次は推測するのです。そして、

「つめていえば、東洋では、育っていく草木の観察から道を体得したのではありますまいか」と述べています。

東洋思想は、「仁」「慈」「慈悲」を重んじました。すなわち、「思いやり」の心を重視したのです。そして、芽を育てることを心がけました。当然ながら、植物の芽を育てるものは水です。思いやりと水の両者は、芽を育てるという共通の役割があるのです。

思いやりが水なら、本講で紹介した17の魔法は、いずれも早く芽を出して大きく草木を育てる養分に他なりません。

そして、その草木の名前は「人間関係の木」というのです。現在の日本では、うまく人間関係の木が育たないためか、残念なことに離婚と自殺の数が急激に増えています。わたしは「結婚」と「死」に関わる冠婚葬祭業者として、日本人の離婚と自殺の数を少しでも減らしたいと心から願い、さまざまな活動を行なっています。

「GNH」という言葉をご存知でしょうか。グロス・ナショナル・ハピネス、つまり、「国民総幸福量」という意味です。ブータンの前国王が提唱した国民全体の幸福度を示す尺度です。「GNP(国民総生産)」で示されるような「物質的ゆたかさ」を求めるのではなく、「精神的ゆたかさ」、すなわち「幸福」を求めるべきであるという考えから生まれたものです。

ブータンは経済的、物質的には世界でも最も貧しい国の1つですが、国民のなんと9割以上が「自分は幸福だ」と感じているといいます。世界で唯一のチベット仏教を国教とする国であり、葬儀を中心とした宗教儀礼が非常に盛んなことで知られます。そのせいか、ブータンの人々は良い人間関係に恵まれているようです。人間関係の良好さが幸福感に直結することはよく理解できます。まさに、ゆたかな人間関係は最高の贅沢なのですね。

わたしは、どんなにお金や社会的地位や健康に恵まれていても、人間関係に恵まれなければ、その人はやはり不幸だと思います。離婚や自殺だけでなく、いじめ、虐待、殺人、テロ、戦争・・・世界は深刻な問題にあふれています。まるでハートレス・ソサエティという「心なき社会」に向かっているようにも見えます。わたしたちは、それをハートフル・ソサエティという「心ゆたかな社会」へと進路変更させなければなりません。

かつて、フランスの文化相も務めた作家のアンドレ・マルローは「21世紀はスピリチュアリティの時代である」と述べました。多くの識者もその見方に賛同しています。「スピリチュアリティ」というのは「精神性」とでも訳すべきでしょうが、最近の日本では「スピリチュアル」というよく似た言葉が流行しています。

この言葉も本来は「精神的な」といったふうな意味なのでしょうが、どうも「スピリチュアルカウンセラー」などと自称する一部の人間の影響で、霊能力と関連づけられることがほとんどです。

わたしは、心ゆたかな社会とは、決して霊能力に関心が集まる社会ではないと思います。それどころか、安易なオカルト・ブームは、健全な社会にとってきわめて危険であるとさえ思っています。孔子が「怪力乱神を語らず」と述べたことを忘れてはなりません。

本当に大切なのは、「霊能力」ではなくて、「礼能力」ではないでしょうか。これは、わが文通相手である宗教哲学者の鎌田東二氏の造語ですが、他者を大切に思える能力、つまり、仁や慈悲や愛の力のことです。

結局、人間関係を良くすることはもちろん、心ゆたかな社会をつくるための最大のカギこそ、わたしたちの礼能力ではないでしょうか。相手への「思いやり」の心くらい大切なものはありません。

サン=テグジュペリが墜落してさまよった砂漠そのもののような渇いた現代社会。そこに「思いやり」という水を撒(ま)き、ぜひ、本書に紹介されている17の魔法を存分にお使いいただきたいと思います。そして、あなたの人間関係の木を大きく育てていただければ、これ以上の喜びはありません。

17という魔法の数にも意味があります。かつて聖徳太子が制定した「憲法17条」にならっているのです。聖徳太子は「いいとこどり」の精神で、神道、仏教、儒教、道教の思想を見事に17条にまとめました。

わたしも、本講では「いいとこどり」の精神で、」人間関係を良くする魔法を集めてみました。すると、ちょうど17になったわけです。わたしの父は「国に憲法、人に礼法」という言葉をよく口にしますが、本当にその通りだと思います。

わたしは何よりも月が大好きなのですが、初めての隣人祭りに参加した今夜、見事な満月をながめることができました。願わくば、あの満月のように、すべての人々の人間関係が円満でありますように。

2008年10月15日
隣人祭りの夜に、満月をながめながら
一条真也